三俣分水口は、1669(寛文9)年、代官岡上景能公が開削した用水に渡良瀬川から引いてきた水を南と西に分けるために設けられました。現在の三俣分水口は、明治5年の岡登用水を再興した時の施設を復元したものです。阿左美本流と鹿分水とで水路の幅が違い、阿左美本流が2尺2寸(約66cm)、鹿分水が1尺2寸(約36cm)となっており、何人もこの流れを変えることは許されなかったといわれます。